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この間大学時代の同期から電話がかかってきて今年も首の皮一枚繋がった格好になる。
会おうとは言ってくれるのだが、大した職についていないことと、会ったらそれっきりになりそうな気がして会ってはいない。

どうしても肉を腹一杯食べなければ体力が回復しない心持ちになったので、最近たまに行く焼き鳥屋に行って(ウーロン茶を)飲んできた。
たまには焼酎を頼む(しこういう店ではお酒を頼むのがマナーだとは思う)のだが、やはり私は料理の味を単体で楽しみたい時はあまりお酒は注文したくはない。
この焼き鳥屋は、繁盛店の上持ち帰りもやっている熱心な店で、持ち帰りから年に何回かカウンターで食べる格好になった。

店員はハキハキした娘と、いかにもどこでもやっていけそうな職人気質の明るい男、業務はちゃんとやっているのだが何故か大将に目をつけられているどこかぶっきらぼうな男(結婚指輪をしているので恐らく既婚者)、そして焼き鳥店にふさわしく大工の棟梁みたいな貫禄をテンプレでいく大将(繁盛店は夫婦でやっていることも多いのだが、この男はどうも独り身のようでそれもなんとなく分かるといった感じのオーラをだしている)。

いつもは話かけないのだが、今日はこの間(違う店舗の)持ち帰りの焼き鳥店で食べた砂肝が生臭く美味しくなかった為、どうしてもこの焼き鳥店の砂肝の美味しさを伝えたく話かけたのだが、ぶっきらぼうな男に小言を言っているときと違い大将は礼儀正しく気さくな人で(加藤茶の若い頃をシュッとさせたような顔をしている)、繁盛店の大将なのだからそれは分かっていたのだが、私にはぶっきらぼうな男に小言を言っている時の印象の方が強かったので面食らってしまった。

結局大将は私の祖父と同じで心から謙遜でもなく「焼き鳥屋には料理の腕はない」という趣旨の言葉を言った為話がちぐはぐな形で終わったのだが、明らかに私が賃金で入ったら強く当たるであろう大将に客とは言え気さくに話かけられると変な気持ちになる。
まあ私から話かけておきながら、不思議がるなよという話で、本当はこれから先に繋がる話があったのだが、丁寧な説明が出来そうにないのでこの話はここで終わる。
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始めから最後まで成長しても福祉とは切り離せないという存在でありIQも人より低い。
多くの人間は運命は変えられると考え、落伍した人間を努力不足だと断じる。
しかし彼らに努力不足という言葉が投げ掛けられないのは彼らにたいして多くの人は″運命を変えられる″という認識をしていないからだ。
人間意外の動物にも″努力不足″という言葉を吐く人は少ないのだから、大変な差別をすると同じ系列で
見られている。
それは人間として生まれたにしてはあまりにも稀な認識のされ方だ。
現代社会に置いて彼らだけがパンドラの箱の最後の厄災の一つを開けてしまったのかもしれない。

厄災だらけのパンドラの箱を空けたとき時、人類は不幸になったとされているが最後の厄災である希望が飛び出る前にパンドラはかろうしで箱を閉め、だからこそ人類は希望を失わずにすんだのだと言う。
しかし厄災だらけのパンドラの箱に希望なんてものが入っているのはどう考えてもおかしく、そもそも他の厄災は箱の外にでてから効果を発揮したのに対して、どうして希望だけは箱の中にいながら効果を発揮できたのだろうか?
むしろ希望まで一緒にでてきて、希望が箱の中から出てきたからこそ人類は厄災だらけのパンドラの箱を開けても希望を失わずに生きる事ができた、でなくては可笑しい。

私はパンドラの箱に最後まで残ったていたのは未来予知だったという説を指示する。
未来を予知できないからこそ人間は無駄な努力をして希望を持たなくてはいけなくなったでは話がえやこしく、だからこそ分かりやすく″パンドラの箱には希望だけが残った″という言い回しに変えたのではないだろうか。
しかしやはりここでも重要なのはパンドラの箱に最後まで残った未来予知とはいかなる厄災なのかと言うことだ。
その答えを我々は知らない。




植松聖容疑者が障害者を殺して何をしたかったのかは私的にはあまり興味がない。
仮に言うなら植松聖容疑者の犯行のような世論を作らせないために世の中は″やまゆり園″のような場所で暮らす人々について積極的な議論をしたがらない。
仮に今の腫れ物的扱いを辞めて積極的な議論を開始して、もしも仮にあまり口にはしたくないが″そういう結論″に達すれば話は知的障害者だけでは収まらない。
人間は将来的に経済を潤さないであろう人間に対して常に″消すもやむ無し″という結論を持っているという答えを照らす事になる。

パンドラの箱に最後まで残った未来予知が厄災である事に対する答えとは、″人間は未来が分かると役に立たない人間を殺してしまう″であるとすれば、少しは納得がいく。
知的障害者は唯一の未来の分かりきった人類である″未来予知″の使者として私達の行く末を試しているのだ。




仮に世の中の運命があらかじめ決まっていたとしよう。
私は自分の怠惰で嫌われているわけではなく、それが自身の役割だと知って多少ハッピーだし堂々としておける。
しかし未来は決まってないと信じているからこそ皆なあなあにしているだけで、世間は運命的に人に嫌われる為に生まれてきた私を許すだろうか?
一生あの調子なのが確定しているのなら殺すべきだという議論は必ずでてくる。
それから先はどうなるかは分からないのだが、だからこそ未来予知は厄災なのだ。
その厄災の箱を開けないためにも知的障害者に対する議論はこれからも腫れ物に触るようにするべきだと思う。
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これは立場が変われば何とでも言い分が変わるのだが、今の事業所は結構私から見て魅力的な人が多い。
だから、出来ないなりに今の私はいつもより多少は人間関係が出来ている方なのだが出来てこれなのかというショックが大きい。
こういう事は昔からしょっちゅうありこういう調子がよい時期に昔は(もっと魅力的な自分が明日にはいるのではないかと)ワクワクしていたが、これ以上がないしあってもすぐに終わる。
そして結局この周期的にある調子のよい時期が一番MAXの私のコミュニケーション能力なんだと気付いた。
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三色ダンゴなんて日本昔話のアニメの中でしかみたことがなかったが、わりと最近(といってもかなり昔に )どこかのメーカーが小売店に納品するようになり、そのお陰で(数を考えて作っているようなので)あまり頻繁に食べているわけではないが、それでもしょっちゅう私は三色ダンゴを食べている。
自然な甘味と、タレなどかかっておらずダンゴだけな所がバランス栄養食みたいでスマートだ。
なければないで受け入れられる商品なのでたまに納品していない日や、売り切れている日があるのもお得感があって気に入っている。
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私が自分が発達障害かどうか調べないのは、調べる意味があまりないからだ。
しかしやはり自身も発達障害の医者から(今ほど発達障害が注目されなかった時代に)正式な検査ではないがその可能性はあると言われたことはある。
発達障害気味な人間が困るのは発達障害は(人にもよるが)興味がある分野にしか集中力がいかないこと。
つまり今やる必要があることでも興味の対象にないと中々やれないのだ。
これが、怠惰とどう違うのかひどく見分けがつかず、こういう事を次から次に病気と判定すると、怠惰や努力不足を病気のせいにする人達が出てきてしまい怠惰の過度な言い訳になってしまう。
理解は必要だと思うが言い訳にするのは私はあまり好きじゃない。
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今はマスコミを批判しながらマスコミより悪質な存在が次々とネットという場所でメディアになる。
それは誰かが止めないと当然いけないのだが、残念ながら止める人がいない。
だから少しでも自分の意見を込めた文章をネット上に投稿して正義か悪かも分からないまま、自分が悪いと思った勢力の言論を薄めなくてはいけないのだが、一個人がそこまで考えて(何も考えずに文章を書く人も多いが)なぜネットをやらなくてはいけないのか。
正直テレビが頂点に君臨していて国民は何も考えずにすんだ時代の方が楽だったし、私も堂々と中道と言えるほど生活が安定していればよかった。
 私の外食事情。  2016/08/16 (Tue)
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その飲食店にとって私はあまり良い客ではない。
まず第一にお好み焼きに入っている餅をのけてくれと言うし、頻繁にお冷やを飲む。

この店の店主は元極楽とんぼの山本と、TKOの木下を混ぜたような何となくふてぶてしい雰囲気で、
店員も地元のダチの餓鬼か親戚の子供みたいな雰囲気の若い連中が集まっていて、 (加えて漫画もほとんど置いてない癖に漫画喫茶を名乗っていて儲けが少ないから粉ものに鞍替えしたような店で)あまり好きではないのだが、近所にお好み焼き店がない為たまに行く。

世の中みんなフランチャイズになってしまえとは絶対に思わないが、私のような人間にとってフランチャイズの方が居心地の良い事が多々ある。
 窓際の進め。  2016/08/12 (Fri)
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私が今やっている業務は、日本が良い時代だったら正社員がやっていたかもしれないが、現実は正社員がやる仕事ではない。
契約社員といっても一応は同期が存在し、ある程度重要な仕事を任されている人もチラホラではじめている。
私の現在の席は完全に窓際だが、新事業をやると言うことでどうせ末席の私にまではまわってこないだろうと思い、曖昧な返答をしていた業務を私がやることになり、それがなければ、同期の中でいよいよ格好がつかなったと思う。

まあ私がやることになっている業務も、ある程度時間が来たから任されたというよりも閑職みたいなものではないかと私は疑っているのだが、もともとからやるつもりがなかっただけあってちゃんとやれるのか自信はない。
よくフリーターは高齢になると居心地が悪くなってやめてしまうというような事が哀れな末路のテンプレのように言われているが、雇用契約がどうであれ年齢に労働(能力)がみあってなければ、居心地が悪くなって辞めていく。
そういう人はどこにだって辞めていくだろう。

それはフリーターだろうと、正社員だろうと同じ事だ。
居心地も何も結局は、自分の身分に耐えられるかどうかなのだと思う。
重ね重ねになるが辞める人は大抵どこに行っても辞める。
無能な人間が安楽に生きれる場所なんて社内ニートを飼えるだけの大企業か、官僚、公務員くらいだと思う。
非正規雇用だから無残なことになるのではなく心が弱い上にその上無能だから無残なことになるんだ。
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圧倒的に会話のパンチの多さと威力が足りてはいない。
それが目先のあるいは永遠の課題だ。
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牛角の食べ放題にはすごい期待をしていた。
それはつまりすごく美味しいのでは無いかという事である。

しかしやっぱり牛角も普通の焼き肉屋だった。
そもそも私が焼き肉で元気になると感じている理由には、いくらネットで調べても科学的な根拠はないらしく、その上年齢的に今の私には焼き肉はキツイという結論に達した。

それ以来私はあまり焼き肉を食べなくなった。
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