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私のようなよく分からない朧気な人間の記憶はつまりは信用できない訳でソースがないなら本来なら書くべきではないのだが書く。
昔身体障害か知的障害者かは忘れたが、とにかく何らの障害を持つ方が″産まれてくる前に障害が分かる″と言う事は、産む産まないの選択に係わる事であり、つまりそれが分かれば障害者である私は産まれてきていない可能性がある。
つまりはそういう医療に反対していると言っていた。

私はこういう性格なので「訳が分からない事を言うな」と思っていたが、最近それは所詮健常者の意見なのだと気付いた。
きっかけはTwitterのブログ村のダメ人間カテゴリーにもブログがある方の発言なのだが″ADHDって完治するもんなの?″と、それに対して私は

ADHDを完治させるなら、運動神経のない人に運動神経を与えるみたいなもので自分は無理だと思う。
ただ将来産まれてくる前にADHDか分かる程に医学が進めば


とエアリプした。

私は人間としての魅力が皆無なので、Twitterでリプと言うものをまったくしないのだが、余談だがこの人と介護関係で働く予定である方は、いつも頑張っていると、勝手に尊敬している。



私はよっぽど切羽詰まるまで調べません。
よく分からない学者が作ったランクづけにのりたくはないし、そういう診断がでたらでたにしろ、今まで自分の性格の一部として受け入れていたものを勝手に障害にされたくないからです。


その時にふと思ったんだ。
私は上に書いた通りのポリシーであり、今まで障害でなかったものに対して、障害者のラクインを押される事に″世界権力者が人間をカテゴリー分けしようとしている″と勝手に憤慨しているので、自分が発達障害かは調べていないのだが、将来発達障害か産まれてくる前に分かれば私も同じなんだ。
産まれてきていない可能性がある。



話は少しずれるが私はあまりネット上では死にたいは言わない。
それはリフォーム会社時代にフラフラの上、上司に怒鳴られている中、背筋がスッと寒くなり死神に鎌を構えられたような心境になり″過労死って多分こんな風に死ぬんだ″と言う心境になったからだ。
場所も屋根であり、まあ落ちても死にはしないのだが、それでも思ったんだ。
″死ぬのは恐い″と。
これと様々な要因があり、私は普段死にたいとは言わないのだが、言わないだけで私は普段からそういう類の人間だ。

しかし実際問題、将来発達障害者は将来産まれなくなる可能性がありますよ。
あなたはどう思いますかと問われたら簡単には、意見を返せない。
″そもそも私はネトウヨが、自分はネトウヨだと決して認めないように発達障害と言うものを認めていないので″なんて言い始めると、益々話がえやこしくなるのだが、この文章の落とし所は一体どうすれば良いのか。
いつも最後の文章に悩むし、適当に締めると結構他人には分かる。



話は変わるが(もしくは戻るが)、私はリフォーム会社をすぐ辞めてからいよいよ簡単に死にたいと言うのを辞めたのだが、よく物事を考えない人なら言うだろう。
″死にたいと簡単に言う奴はトビをやれ″とか。
始めの文章とはあまり関係ない話で文章が終わるのだが、人間と言うのは作為が丸見えだとのりたくないと言う人が結構いるもので、自分から選択した訳ではないのに、無理やり首根っこ捕まれて体験させられた事なら意地でも相手の作為どうりに思ってやるものかと言う人が一定数いる。
″何で一々そんな言い方で、相手を納得させようとするのか?例え正論だったとしてものっけから聞く気をなくす″と言うような人がネットには結構いるのだが、ネットだから相手が見えにくいんじゃなくて多分現実でもそう言う態度だろう。
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