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人間は優しくされないと他人に優しくはできない。
特に40歳も越えて貧乏だと既に世の中のありとあらゆる理不尽に怒るようになり、できれば接したくはない。
ニートスズキも40歳か。
それでも彼は(リアルは知らないが)動画や配信を見る限りでは語気を強めたりはしない。
それは中央大学卒と言う余裕があるからだ。
学歴のある家の息子だからだ。

人間はコンプックスを持って当たり前だが自分で人生を選べなかったと考えていて、しかも貧乏となると体当たりしてくるように語気を強めてすぐに自分語りを始める。
人に優しくする人間は損をすることも多いと思うが誰かが誰かに優しくしないと世の中はそんな人間ばかりになる。
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嫌われすぎて人が辞めていく人間なんて本当に見たことがない。
仮に確認できても私の心は救えないだろう。
私がタイトル通りのブログにできていないのかもしれないがこのブログのアクセスを見ても人は自分と関係のない所で誰が嫌われていても関心がない。

仮に人が辞めていく時にユウチュウバーのMさんならどう思うかは新鮮だった。
Mさんは自分と対立していた同僚が辞めた時「多分あの人もね結構点々としとるわ」と言った。そうなのかもしれない。

私だって辞めたいが銭がないと私は死ぬんだよ。
どうでも良い事だが社会がリュウチェルの痛みが自分に返ってくるシステムだったら、とてもどうでも良いとは思えないだろう。
他人事に聞こえるかもしれないがまさにそれが私の心境だ。

この水槽の中にいたら嫌でも人は人に影響を与え、自分の影響を考えずにはいられない。
私が過度だとしても、嫌われ者は私だけじゃないだろう。
だって辞める理由は人間関係が2割だ。
2割にしても世の中には自分のせいで辞めたのではないかと懺悔している人間が少なすぎる。



小田原ドラゴン先生という漫画家のツイッターを最近熱心に見ている。
動画配信を見た感想は元気のないピョコタン先生みたいな人でツイッターのフォローを見たらピョコタン先生を案の定フォローしていて″やっぱり″と言った感じだったがクラゲねこさんとニースズをフォローしていて意外だった。

ニートスズキは今何をしているのかと思いツイッターを見ていると“「僕以上にダメな人間はいない」とことあるごとにつぶやくくらげネコさんは、自立された生活をされ、実家に住まわれている親御さんに花や贈り物をするような立派な方です。”と言う文章と共に“「貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅」と言うブログをRTしていて、あれは恐らく界隈の君主に使えるタイプのブログだと思う。

私のブログも似たようなものだ。
1000万円貯金するつもりが駄目になったようで本人は憔悴していたが、私のブログと同じで文章が読みにくかった事もありとりあえずは熱心に読まなかった。
一言で言えば意外とどうでも良かったからだ。

私のブログだって同じようなものでたまたま私がMさんになついただけで、Mさんが引退すればきっと閲覧者はグッと減る。
私のことなんて皆どうでも良い。
どんなに辛い思いをしようが所詮魅力が低ければ低いほど他人事だ。

適当に書いているのであのブログ主がクラゲねこさんの周辺登場人物なのか、もしくはたまに名前を聞くバックレ太郎とか河井無太郎と言うような″よくは知らないが恐らくクラゲねこと同格なんだろう″と思わせるレベルの格上なのかは知らないが(そもそも私より格下のブログなんてないが)周辺登場人物のブログなら主が引退すればアクセスが経るのは当たり前なのがこの界隈。
主が引退しても私には自分が主になるような才覚はない。

散々書いた後に何となく名前を聞いたことのあるブログのような気がしてきたが、主が引退すればアクセスが減るとか言う話は脱線しただけで直接この人とは関係がない。
ブログを放置して1ヶ月後以上立っているようだがきっと色々なことがあったんだろう。
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結局嫌っている事を態度に表明するのはストレス発散になる。
見下している事を態度に表明するのはストレス発散になる。
見下されるには、もしくは嫌われるには相手にも落ち度があったのかもしれないがそれもやりすぎると依存している事になる。
馬鹿にしたり嫌ったりする人間に依存される方は溜まったものではない。
しかしツイッターやユウチュウブにも関わらず、それでも相手が反応を示さずブロックもしてこないならどうでも良いと思われているか逆に見下されているか、或いは幼稚な行動を許してしまっているのだ。

一体本当はどちらが見下す対象かと言う話だがそれはやりすぎたアンチの話で批判がなくては世の中は正しくまわらない。



インターネットにはsyamu gameのシャムさんという人がいる。
皮肉って大物ユウチュウバーと言われる事の多い既に引退したユウチュウバーで一言で言うとツッコミ所の多い人だ。
ネット民はこういうツッコミ所の多い人物が好きでそして頻繁にやりすぎている。
一人間でありながらコンテンツのような認識をされた人達は、はじめはそれを受け止めながらもやがては引退する定めにある。

性の喜びおじさんと言われた人物は挙げ句死んでしまった。
詳しいことは不明だが電車の中でいつものように卑猥な言葉を口走っていると(中略)相手の男は怒り狂い挙げ句気道も確保できない状況で取り押さえられ死んでしまった。
この事件でネックになるのは加害者が死なせてしまった相手を性の喜びおじさんと認識していたかどうかだが

①いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っているとそれを盗撮されていた事におじさんが気づき騒動に発展した。
②いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っていると、加害者の男がそれを注意してきて、おじさんが逆ギレすると加害者の男が威嚇するように盗撮を開始。騒動に発展した。
③いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っていると、加害者の男がそれを注意してきて、おじさんが逆ギレすると騒動に発展した。

主にネットではこの3つが候補として囁かれている。

ネットでは限度を超してぶちギレた加害者の就活生らしき男をキョロ充として見ているようだが(怒りの加減の調節がおかしい事から普段から人に突っ込まれたり馬鹿にされたりすることを許さない。結果的にやりすぎおじさんが亡くなっている事から普段から喧嘩慣れしていない)大体こういうコンテンツになってしまった人間を引退に追いやるのは(おじさんの場合は亡くなってしまったが)意気がったキョロ充だ。
オタクでもリア充でもない彼等はマイノリティでありながらマイノリティの実感を持たず自身を普通よりの人間だと考えているから常にやりすぎる。



人を口汚く罵り、挙げ句は暴力まで振るう傾向にあり、集団ストーカーの被害にあっていると主張していたaiueo700だって、はじめは凸者にも正統性があった。
しかし次第にキョロ充みたいなのがやりすぎるようになり、今では完全にやり過ぎている。
DQNはネットで叩かれるし、オタクもオタクで叩かれる。
しかしキョロ充はDQNとオタクを都合よく使い分けて常に叩かれないように偽装している。

例えば本来ならコンテンツ化した人間にやりすぎるキョロ充の立場でありながら、自分がコンテンツになってしまったなんJで一番有名なコテハン八神太一は典型的なキョロ充だった。
教室では控えめに過ごし何とかクラスの主流派に食い付き、マーチの父と自分より頭の良い弟へのコンプレックスにストレスを溜め、それが彼をなんJでの熱い自分語りと全方位ディスに駆り立てた。

八神太一はたまたま住所を特定されたが、大抵のキョロ充というのは依存している対象にネットで″死ね″とか打ち込みながらのうのうと生きている。
稼げないデリヘル嬢

今月はほとんど貯金が出来なかったし、月曜日から疎まれながら残業をしなくてはいけない。
しかし残業が出来ないようであればこの業務にもいよいよ底が見え始め後は新しい仕事を探すが、掛け持ちのバイトの為の移動手段としての何かを買うしかない。
しかし私は2回対物で事故を起こしている為、親は反対するだろうが私も少しは大人にならないと人生が辛くなってきた。

私は一年に1回デリヘルに行くようにしているが、行かない事の方が多い。
デリヘルに行く理由は私らしい回りくどい理由があるのだが書くのが面倒臭い。
どうでもよいがたまに男は溜まるものもあるしなんて言ったりするがあれは事実なんだろうか。
しかし実際行くに備えてお金を用意してもフェイクだとか、時間があうかとかひどく面倒臭い。
風俗に頻繁に行く人もいるらしいがお金の話より、よくそんなに会いたい嬢がいるのか不思議だ。
私は欲しいものには妥協したくないし、欲しいものではないならそもそも似たようなものはいらない。
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結局私が今の事業所で多少仲良くしているのは殆どがおじさんで、定年になり雇用が成立しなくなればますます居場所がなくなる。
それはもっとも本当にそんなに長く居着く気持ちがあるのならだが。
自営業は本当によく考えるようになった。
或いは確認した限りでは父親は年金が貰えそうなので、妹が国立大学に受かりお金が余り必要ではなくなったのと合わせて父親の家業が安定するのではないかと言う目論見がある。

或いは祖父は不動産を持っていてそれがいつか自分に廻ってくるのではないかという雑多で浅はかな皮算用ならあるが間違いなく心配事の方が多い。
仮に飲食をしたいなら世の中には必ず一代で終わる美味しい飯屋があってそこに取り入りそこを継ぐ事だ。
飲食に必要なのは歯の浮いたような理想ではない。
旨い飯を作り、その飯を定期的に客が食べたいと思うかどうかだ。

仮に飲食をするならはじめは移動式の屋台からだ。
そうでなくては不動産屋や自分を信じて購入した土地なんて全く宛てにならないし、私みたいな縁の薄い人間が借金して店を構えるなんて決してやってはならない行為だ。
とにかくお金がないと頭が馬鹿になる。



どうせ完成しないが今書いているライトノベルはあと100日で完成させる。
そう言う関係の言うだけ只の目標ならMMD制作者になり或いはネットに漫画を上げる。
安い自分だから私はもうこのブログがある程度読まれる事で多少は満足している。
もうすでにそんなふわふわとした目標なんてどうでも良いんだ。

大体自分が成さなければ達成しない目標なんて下らない。
世の中なんて三億円宝くじが当たってしまえばそれで万事OKだろう。
インフレさえ起きなければ世の中で現金が一番信用が出来る。



今月は残業をあまり入れなかったせいで貯金があまり出来なかった。
仮に残業が出来なくなればこの業務も既に危ういだろう。
掛け持ちも探しているが都合がつかず尻みしている。

結局世の中は金で、その貨幣だって本当は下らない。
都合さえつけばじゃぶじゃぶと刷られて垂れ流されている。
もうこんな世の中に未練はないが20歳未満の人間が自殺すると私は何とも言えない気持ちになる。
それは死ぬなとは思う。
死ぬタイミングなんて世の中には幾らでもあるんだから。

しかし同時に歳を取ると未練がましくなって中々死ねなくなる。
何より中年や老人の死には美しさがない。
死んだって大体誰も悲しみはしないんだから。
だがしかしアドルフ・ヒトラーは老人が多く自殺する国は滅ぶと言っていたし、老人の死には注視するべきかもしれない。
中年の死はどうかと言うと恐らくは誰も気にしないのかもしれない。



とにかく私もいつ死ぬかだ。
やはり孤独と言うものは難しい乗り越えられない感情だ。

その感情を女を叩いたり結婚を叩いたり政府を叩いたり親を叩いたりしながら匿名で管を巻き、自分をごまかしていては解決する2ものではない。

2ちゃんねるの住人は身内だが度を越して馬鹿な連中だ。
孤独と言うのは心の臓に杭を打ち込むか、或いは心の臓に手を当てて本当に心の底から孤独と向き合うしか打ち勝つ方法はない。
2ちゃんねるの住人の孤独の向き合い方は必ず自分の首を締め付ける。
安易に孤独に迎合すれば必ず後悔する日が来る。

とにかくネットには他人を集団自殺に巻き込もうと、他人の足を引っ張ろうとしている連中が沢山いる。
それはもう自分が追い詰められると他人の苦しみぐらいしか見たいものがなくなる。
人間は追い詰められるとすぐに言論を調整し始める。
私ももう自分を保てなくなっている。



しかし今日一番よく見ているユウチュウバーのコメント欄を見ていたらナヨナヨした敬語を喋るくせに妙にふてぶてしい気持ちの悪い奴だなと思っていたユーザーが何が気に入らなかったのか他のコメントしたユーザ相手に大暴れてしていてドン引きした。

あの態度は覚悟もなく相手に喧嘩を売っていると思われてもしょうがのないようなコメントをして起きながら、相手が反論してきたらビヒッてヒステリーを起こしたようにしか私には見えない。

やはりナヨナヨした敬語を喋る正義感ぶった人間には私も含めて死んでほしい。
気持ちが悪い人間の癖に控えめぶって、下手したらすぐに覆い被さってくる。
よっぽど何かコメントしようかと思ったが辞めた。

私が言うのも何だが昔から過剰にアイドルに握手を求めて、尚且つそれが当たり前だと思っているファンのような気持ち悪さがあり前々から嫌いだったのだが、やはりあの人は人間性が狂っていると思った。

多分大分ずれているから日常生活でもうざがられていると思うが本人に自覚はないだろうと思う。
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